最も長生きした車(昭和44年)

記録=タクゾーさん・naganoさん

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 都営バス史上で最も長生きした車、すなわち配属されたから除籍されるまでの期間が最も長かった車は何だろうか。実は観光車から特定車に転用された昭和44年度導入車のT936(写真)がそうである。近年まで在籍したM-T913など特定車は一般車よりも長生きする場合があるが、観光車から転用された場合は特に長生きする場合が多い。このような観光車からの転用は、肢体不自由児以外の学校用に用いられていた。
 T936は昭和44年4月に江戸川車庫に配置される。ナンバーは「足立2い3188」とまだ旧式表記の時代で、車はいすゞBU15EPに川崎重工のボディーを組み合わせた「オバQ」だった。正面から見た姿が当時放送で大ヒットしていたオバQに似ていたというのが愛称の由来である。同期の車はC-T034、E-T035で計3台存在した。
 これら3台は観光車として走りつづけていたが、昭和57年に転機が訪れる。登場から13年経過していたオバQはもはや最古参になっており、置き換え用のL代観光車(いすゞK-CRA580…C-L058、E-L059、R-L060)が入籍することになった。しかし江戸川営業所には貸切転用特定車の枠があり、他の2台が除籍されるのをよそに特定車に役割をスライドし、それまで転用枠に収まっていたR-R929(昭和43年度、いすゞBU15EP、元大塚?のG-R029)を玉突きで追い出してR-T936と改番してその座についた。ちなみに、貸切転用枠があった他の営業所としては、渋谷・千住が挙げられる。
 その後も特定車として前面に「スクールバス」の札をかかげて活躍したが、昭和61年4月、R069(いすゞP-LV219Q)が入籍して後進のB047(昭和49年度、いすゞBU20KP)が特定枠に押し出されてくるのに伴い、ついに除籍された。丸々17年に亘って活躍したという記録は、今後破ることはたいへん難しいであろう。
 ちなみにこの江戸川(→臨海)の貸切転用枠は、その後L960、P943と引き継がれ、平成9年頃に特定車の減少に伴い消滅した。

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 では一般車に限って最も長寿だった車は……というと、これは間違いなく葛西のZ代(昭和47年度)の4輌(Z466、Z471?、Z477?、Z478?)である。江東区の昭和47年11月の都電代替と前後して、それらの系統をメインに担当する葛西営業所が新設され、実に66輌の日野車(RE100)が一括して新製配属された。都電代替とツーマン専用車の置き換えで大量の新車が入るというのは昭和40年代の各営業所で見られた光景だが、これだけ大規模な配属は珍しい。車輌数だけ見れば昭和47年度の江東78輌というほうが多いが、これだけ連番で入った(Z427〜490)のは最大規模と言ってよいだろう。
 これだけ車輌数が多ければ自然と江東区内のあちこちで見られるというのも自然な理屈で、往時の都営バスファンの間では「葛西のZ」と呼ばれてつとに有名であったようだ。特に少しずつ古参となっていった後半生では境川操車所(現在廃止)に集結することが多く、[秋26](秋葉原駅〜葛西駅)や[草28](神田駅〜葛西橋)といった系統に集中的に運用され、いくら待ってもこの車ばかりということも珍しくなかったようだ。
 さらに、これだけ車輌数が多いと一気に置き換えるのも至難の業である。ナンバーの最初のほうのZ427〜430は昭和54年頃に品川に、またZ431〜437は昭和56年頃に目黒に転属したが、残る55輌は葛西に残り続けた。この時期は全体的に減車が行われていたために代替新車がなかった車もあるが、昭和60年からついに置き換えが始まった。昭和60年度にP代前期7輌、P代後期7輌、昭和61年度にR代前期14輌、R代後期7輌と各期ごとに新車を入れて来たが、江東から転入してきた日産ディーゼル車も同時に置き換える必要があったため、昭和62年度に入った(14年半経過)時点でもまだ16輌が残っていた。それが昭和62年6月のS代前期7輌投入と目黒からの転属で残り4輌になったのである。もっとも、こうなっても割と営業運転されることは多く、すぐには除籍されずにしぶとく生き残った。
 これが除籍されたのは昭和63年3月である。新車はなかったものの、[銀71]→[都03](新宿駅西口〜晴海埠頭)の都市新バス化に伴う杉並の大量新車導入で余った車が各地に散り、葛西にはF270,F271(昭和53年度)とK428〜434(昭和58年度)の計9輌が転入し、玉突きされるようにZの4輌は除籍された。残り5輌分はD代(昭和51年度)を同時に除籍させることで達成されたが、4年も歳の違う車が一緒に同時に除籍されるのは珍事と言ってよいだろう。ということで、Z代は15年5ヶ月に及ぶ生涯をようやく閉じた。

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 しかし、↑の車(昭和62年6月導入、S代前期)とZ代が同時に走っていた時代というのが確かにあったわけで、今から考えると信じられない事実である。何せ車体から塗装から冷房から幕から座席から、本当に何から何までレベルや差がはっきりとしていた違いがあった。今よりもバス車輌の1年1年の進歩がずっと大きかった時代というのを実感させられる。
 最近で比較的長生きした車といえば、HIMR車のX516(杉並→品川)があるが、それでも13年半である。今はこういった長寿の車が今後出現することは難しいだろうが、規制が十分進んだ未来にはまた超低公害車などで出てくることがあるかもしれない。