○東01(廃止)
品川営業所
本 | 東京駅北口〜警視庁〜虎ノ門〜新橋駅 | 4.260/ 3.880km | 平土 |
東京駅北口発 | 9:00〜17:30 | 新橋駅発 | 9:00〜17:30 |
本 | 運転間隔(東京駅〜新佃島) | 所要時間 | 表定速度 | |
平日 | 73・74回 | 朝6〜9 昼14〜15 夕8〜15 | 34〜40 | 10〜12 |
土曜 | 67・70回 | − | ||
休日 | 60・61回 | − | 33〜37 | 11〜12 |
※データは昭和62年1月現在
系統 | 施行日 | 所管 | 距離 | 概要 |
東01 | S48. 2.25 | 品川 | 4.260/ 3.880km | 東京駅北口〜新橋駅が開通。ミニバス専用車体。 |
東01 | S55. 8.27 | 品川 | 4.260/ 3.880km | 警視庁〜虎ノ門で、フリー乗降制を採用 |
東01 | S58. 8.22 | 品川 | *** | 東京駅北口〜新橋駅を廃止 |
本 | (S56.10) | 本 | (S50.4) |
○ | 東京駅丸の内北口 | ○ | 東京駅丸の内北口 |
● | 東京駅丸の内南口 | ● | 東京駅丸の内南口 |
● | 都庁前 | ● | 都庁前 |
● | 有楽町駅前 | ● | 有楽町駅前 |
● | 日比谷 | ● | 日比谷 |
● | 祝田橋 | ● | 桜田門 |
● | 警視庁前 | ▼ | 第三合同庁舎前 |
▼ | 運輸省建設省前 | ● | 霞ヶ関 |
● | 霞ヶ関 | ● | 虎ノ門 |
● | 虎ノ門 | ● | 西新橋一丁目 |
● | 西新橋一丁目 | ○ | 新橋駅前 |
○ | 新橋駅前 |
昭和48年に開通したミニバス。ミニバスとは、自家用車のような性質を持ち、小型車で運行し、停留所間隔を短くしたりフリー乗降区間を設けたりしてより利便性を高めたものである。自家用車やタクシーが使われることの多い業務交通を公共交通に吸収し、官庁街・ビジネス街の連絡するという目的をもって、東京駅北口〜南口〜日比谷〜警視庁〜虎ノ門〜新橋駅というルートで開業した。官庁街連絡としては昭和41年まで存在した62系統・63系統があるが、これはもっと短い路線で、しかも小型車専用での運行であった。
ルート選定はなかなか面白いものであったと思う。交通局は3,500人/日の利用を見込んで、4分〜6分間隔という高頻度で走らせていた。しかし現実は厳しく、見込みの半分しか乗らず、さらには1/3に落ち込んでしまった。それはなぜかというと、●車高の関係で座席定員制(確か13人)だったため、立ち席の利用ができなかった。●既存の停留所を流用したため、停留所間隔が一般の系統と同じ、などの弱点があったためである。
これに交通局も何らかの対策を打たなくてはならないと思ったのか、昭和55年8月にリニューアルを行った。具体的には、
などの施策をとった。この結果、乗客数も多少上向いてきた。しかしこれも一過性のもので、昭和56年度から3年間、ついに全路線中で営業収支が最悪という不名誉な成績を出してしまう。大赤字の青梅地区の系統よりも収支が悪く、たとえば昭和57年度で見ると、支出の2億4137万円に対し、収入はわずかに9995万円となっており、営業係数は実に241である。出入庫は品川車庫〜(第一京浜)〜新橋駅であり、これの回送もバカにならなかったのであろうか。結局地下鉄が縦横に走っていて廃止による影響も少ないと考えられた結果、昭和58年にあっけなく廃止されていまった。考えだけ見ると今日隆盛のコミュニティバスや100円バスと似通った部分もあり、この路線は「早すぎた」のかもしれない。
ちなみに、フリー乗降区間に入ると専用の官庁案内が入り、ブザーが押され次第近くの安全に降車するようになっていたようである。