●渋66←[131]←[6]
杉並支所×京王バス東(永福町)
本 | 阿佐ヶ谷駅〜杉並車庫〜和田堀橋〜新国立劇場(←宇田川町、神山→)渋谷駅 | 12.380/12.320km | |
出入1 | 阿佐ヶ谷駅〜杉並車庫〜和田堀橋 | ||
出入2 | 阿佐ヶ谷駅〜杉並車庫〜堀ノ内 | ||
出入3 | 阿佐ヶ谷駅〜杉並車庫 | ||
出入4 | 杉並車庫〜和田堀橋〜新国立劇場(←宇田川町、神山→)渋谷駅 |
阿佐ヶ谷駅発 | 渋谷駅発 |
本 | 運転間隔 | 所要時間 | 表定速度 | |
平土 | ||||
休日 |
*kは京王バスの本数。
系統 | 施行日 | 所管 | 距離 | 概要 |
6 | 終戦時 | 堀ノ内 | *** | 堀ノ内〜代田橋が存在 |
6 | S21. 3.15 | 堀ノ内 | 4.760km | 代田橋〜杉並区役所を延長 |
6 | S28. 3. 1 | 堀ノ内 | 5.390km | 杉並区役所〜阿佐ヶ谷駅を延長 |
131 | S32. 7. 1 | 堀ノ内 | 11.090km | 京王と相互乗入開始、阿佐ヶ谷駅〜代田橋〜渋谷駅に延長、131系統とする |
131 | S38.12. 1 | 堀ノ内 | 11.070km | 方南町・高円寺陸橋付近の経路を環七の現道に変更 |
131 | S39ごろ | 堀ノ内 | 12.380/12.320km | 渋谷駅付近の経路を一方通行(渋谷行き神山経由、阿佐ヶ谷行き宇田川町経由)に変更 |
131 | S41.11.30 | 杉並 | 11.070km | 堀ノ内営業所を移転、杉並営業所に改称 |
渋66 | S47.11.12 | 杉並 | 12.380/12.320km | 新番号化、渋66とする |
渋66 | H15. 4. 1 | 新宿 | 12.380/12.320km | 新宿に移管 |
渋66 | H18. 4. 1 | 新宿 | 12.380/12.320km | 杉並に移管 |
(註1・運輸統計年報ではS43.2.1に渋谷一方通行化が行われたという記述だが昭和40年の路線図ですでにそうなっている。昭和40年には既に12.380/12.320kmになっていた可能性が強い。また系統一覧では既に昭和40年3月現在から「12.350km」となっているため昭和39年度に変更が行われたものとする。そうすると運輸統計年報の記述は…?)
本 | プ ロ ム |
(H15.2.1) |
○ | ○ | 阿佐ヶ谷駅前 |
● | ● | 阿佐谷南一丁目 |
● | ● | 杉並区役所前 |
● | ● | 梅里中央公園入口 |
● | ● | 西馬橋 |
● | ● | 新高円寺 |
○ | ○ | 杉並車庫前 |
● | ● | 高円寺陸橋 |
● | ● | セシオン杉並前 |
○ | ○ | 堀ノ内 |
● | ● | 堀ノ内二丁目 |
● | ● | 和田堀橋 |
● | ● | 方南八幡通り |
● | ● | 釜寺 |
● | ● | 和泉一丁目 |
● | ● | 代田橋 |
● | ● | 笹塚二丁目 |
● | ● | 笹塚 |
● | ● | 幡ヶ谷原町 |
● | ● | 幡ヶ谷 |
● | ● | 幡代 |
● | ● | 新国立劇場前 |
● | ● | 東京オペラシティ南 |
● | ● | 初台坂上 |
● | ● | 南初台 |
● | ● | 初台坂下 |
● | ● | 八幡下 |
● | ● | 代々木八幡 |
● | ● | 富ヶ谷 |
▼ | | | | 神山 |
▼ | | | | 東急百貨店本店前 |
▲ | ● | 放送センター西口 |
| | | ▼ | 渋谷区役所前 |
| | | ▼ | 神南一丁目 |
▲ | ▲ | 宇田川町 |
▲ | ▲ | 西武百貨店前 |
○ | ○ | 渋谷駅前 |
新宿駅西口から青梅街道方面は、山手線外にもかかわらず都営バスのエリアだった。それに対し、当時の京王は中央線と京王線・山手線の駅を結び、中央線の乗客を京王側に流すことを目的とする系統を作ることに力を入れていた。その中でもこの渋66ルートは都心への主要なバイパスルートとして注目され、開通は京王の悲願だった。東京都交通局と4年の折衝を経て、昭和32年にようやく相互乗り入れを果たした。この辺の動きは京王の社史にも多くの記述がなされており、興味深い。
さて、このように力の入っていた渋66だが、平成になる頃には定時性が悪化しきって、もはやおいしい路線ではなくなっていた。そのような中で京王は撤退に言及、それを受けて環七部の沿線住民は表題のような運動を始めたのである。まるで地方交通線のような話だが、ウソのようなホントの話。
撤退すれば都営バスのみの運行になり、本数が少なくなるばかりではなく、エリアの関係で路線が短縮されてしまう可能性もあった。バス停には渋66の利用促進を促す立て看板も製作されたほど。その成果が実り、京王は撤退せずに運用減だけで対応した。現在、都営対京王バスの運行比率は2:1となっている。
京王にとって悲願の路線だった渋66だが、平成に入る頃には定時性が悪化し、おいしい路線ではなくなっていた。京王は撤退に言及したが、運用減だけで対応し都営対京王バスの運行比率は2:1となっていたのは昔の話。平成15年4月より杉並支所がはとバスに運行委託されるに伴って、渋66の都営バス担当分は新宿支所に移管された。
新しい受け持ちとなる新宿支所では、品97の運行を大部分品川に移管させ、浮いた分を渋66に回すことになったが、それでも確保できず、都営の担当割合が酸くなった。では少なくなった分を京王バスが受け持つことになったのだが……なんと京王バスはここで逆襲に出たのだ。
京王バスのヤル気にはわけがある。分社化してダイヤや乗務員の運行管理に小回りが効かせると同時に都区内のネットワークを強化しており、渋61の東急からの移管、渋63/64の深夜バス運行、井の頭通りを走る渋67の開通、宿51の増便、渋谷→吉祥寺の深夜中距離バス運行と攻めの姿勢が強い。
一方それに比べると苦しいのは都営バス。京王が全車ノンステップでの運行なのに対しノンステップ比率が少なかったり、出入庫便が意外と多く見た目以上に本線担当が少なかったり、最終バスは堀ノ内止まりで車庫まで回送という新宿支所の悪い(失礼!)癖も出ている。労働時間の関係だろうが、ここは頑張って新宿車庫まで運行してもらいたい所である。
渋谷駅行き始発は高円寺陸橋まで回送してから営業しており、非効率ではあるが、移管前と同じサービスを提供するという観点では良いことをしている。現在、京王:都営の運行比率は約2:1と逆転してしまっているため、ここは都営にも頑張ってよりよいサービスを提供してもらいたいものだ。
阿佐ヶ谷駅発の京王バス入庫便は、時刻表では「方南八幡通り行」と表示がされている。しかし、実際は、系統番号なしで「方南町」(前面・側面・背面とも)の幕。環七の方南町交叉点を右折し、方南通り上の方南町(京王宿33、中71と同じバス停)が終点となり、永福町車庫へ入庫する。なお、出庫は方南町より和田堀橋から阿佐ヶ谷駅に向けて営業を開始する。