○501←[500]
品川営業所
本 | 品川車庫〜品川駅〜新橋駅〜京橋〜神田駅〜秋葉原駅〜上野駅 | 11.140km | |
折 | 品川車庫〜品川駅〜新橋駅〜京橋〜東京駅八重洲口 | 7.813/ 7.735km | 朝夕 |
出入 | 品川車庫〜品川駅〜田町駅 | 3.025km |
系統 | 施行日 | 所管 | 距離 | 概要 |
500 | S42.12.10 | 品川 | 11.140km | 都電1系統(品川〜上野)の代替で品川車庫〜上野駅が開通 |
500折 | S42.12.10 | 品川 | 7.813/ 7.735km | 品川車庫〜東京駅八重洲口を開設 |
501 | S43. 2.25 | 品川 | *** | 501系統とする |
501 | S44.10.26 | 品川 | *** | 品川車庫〜上野駅・東京駅八重洲口を廃止 |
都電1系統の代替。1系統というエースナンバーが示す通り、品川駅を起点としていた(原則として、品川から時計回りに番号が振られている。地下鉄のn号線というのも同様)。そこから第一京浜・中央通りをそのまま走り続け、上野駅まで達するという路線であった。城南地域の都電は撤去が早く、昭和42年の第一次撤去では1〜6・8・37・40の各系統が一部を除いてバス転換された。
さて、バス路線となった501系統だが、当初は500系統と呼ばれていた。都電の番号とは関係なく、500から順に番号を割り振ったのである。これが旅客上の案内にどの程度使われていたのかは分からないが、結局次の代替時にこれでは分かりにくいということになったためか、500+都電の番号という番号に改められた。
運行形態は、品川〜上野を貫通するものと、朝夕ラッシュ時のみ運転される品川〜東京駅八重洲口に大別される。今の感覚で考えると東京駅〜上野広小路のほうが需要がありそうだが、もともとの都電がこういう形態だったということだろうか。ちなみに折り返し線だが、東京駅八重洲口行きを通り三丁目を右折、そのまま元・銀ブラバスの停留所へと停車(推測)し、外堀通りを進んで左折して京橋で合流していた。本数は通しが45本程度、折り返し線が28本程度と、思ったほど多いわけではない。通し便は20分間隔程度だったのではないかと思われる。
乗客は需要の高い土地を走っているだけあってまあまあ多い。特に田町〜日本橋と銀座を挟む区間が多くなっている。しかし新橋までは都営浅草線が既に開通し、新橋から先は銀座線というライバルがあり、渋滞が激しい中ではあまりお得な路線とは言えなかったらしい。結局2年も経たない昭和44年、他の都電系統が生まれる中で廃止されてしまった。